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近藤 重蔵(1771-1829)
近藤 重蔵(こんどう じゅうぞう、明和8年(1771年) - 文政12年6月16日(1829年7月16日))は、江戸時代後期の幕臣(旗本)、探検家。諱は守重(もりしげ)、号は正斎・昇天真人。5度にわたって蝦夷地探検をおこなった。間宮林蔵、平山行蔵とともに“文政の三蔵”と呼ばれる。「大日本恵登呂府」の標柱を立てた人物として知られる一方、書誌学や北方地図作製史の分野でも論じられている人物である。 生涯 おいたち 明和8年(1771年)、御先手組与力・近藤右膳守知の三男として江戸駒込に生まれる。博識で有名な山本北山に儒学を師事し、同門に太田錦城・小川泰山・太田全斎らがいる。幼少の頃から「神童...
この人物の情報
schema:alternateName | コンドウ ジュウゾウ |
schema:name | 近藤 重蔵; 近藤重蔵; 近藤, 重藏; 近藤, 正斎; 近藤, 守重; Kondo, Jūzō |
schema:abstract | 近藤 重蔵(こんどう じゅうぞう、明和8年(1771年) - 文政12年6月16日(1829年7月16日))は、江戸時代後期の幕臣(旗本)、探検家。諱は守重(もりしげ)、号は正斎・昇天真人。5度にわたって蝦夷地探検をおこなった。間宮林蔵、平山行蔵とともに“文政の三蔵”と呼ばれる。「大日本恵登呂府」の標柱を立てた人物として知られる一方、書誌学や北方地図作製史の分野でも論じられている人物である。 生涯 おいたち 明和8年(1771年)、御先手組与力・近藤右膳守知の三男として江戸駒込に生まれる。博識で有名な山本北山に儒学を師事し、同門に太田錦城・小川泰山・太田全斎らがいる。幼少の頃から「神童... |
schema:birthDate | 1771 |
schema:deathDate | 1829 |
schema:description | 探検家 |