東京生まれ。歌人、小説家。明治19年(1886)中島歌子の歌塾萩の舎に入門。22年(1889)父の死によって一家の生計を支えることとなり、24年(1891)には半井桃水に師事して小説を書き始める。25年(1892)に発表した『うもれ木』は出世作となり、「文学界」同人との交流を得た。生活難のため、下谷区龍泉寺町で荒物や駄菓子を扱う店を開いた時期もある。『大つごもり』(1894)、『にごりえ』(1895)、『たけくらべ』(1895)などのほか、日記も残した。肺結核のため貧困のうちに死去。
「近代日本人の肖像」より
東京府第二大区小一区(現・千代田区)内幸町生まれ。本名なつ(奈津)。夏子とも書いた。1891年東京朝日新聞記者の半井桃水の指導を受け小説を書くようになり、1892年、半井桃水が主宰した文芸雑誌「武蔵野」に処女作『闇桜』を発表。生活苦により住む場所を転々とするが、1894年、小説に専念するため本郷区丸山福山町(現・文京区西片)に移る。ここで一葉の代表作である『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』『たけくらべ』を執筆する。『たけくらべ』は、雑誌「めざまし草」の合評欄「三人冗語」で森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨に絶賛される。1896年11月23日、結核で24年間の短い生涯を閉じる。Wikipedia「樋口一葉」
「青空文庫」より
樋口 一葉(ひぐち いちよう、1872年5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11月23日)は、日本の小説家。 東京生まれ。 本名は夏子、戸籍名は奈津。 中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。 生活に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表、文壇から絶賛される。 わずか1年半でこれらの作品を送ったが、24歳6ヶ月で肺結核により死去。 『一葉日記』も高い評価を受けている。 [生涯] 東京府第二大区一小区内幸町の東京府庁構内(現在の東京都千代田区)の長屋で生まれる。 本名は樋口奈津。 父は樋口為之助(則義)、母は古屋家の娘多喜(あやめ)の...
「Wikipedia」より