明恵(みょうえ)は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。 法諱は高弁(こうべん)。 明恵上人・栂尾上人とも呼ばれる。 父は平重国。 母は湯浅宗重の四女。 現在の和歌山県有田川町出身。 華厳宗中興の祖と称される。 [生涯] 承安3年(1173年)1月8日、高倉上皇の武者所に伺候した平重国と紀伊国の有力者であった湯浅宗重四女の子として紀伊国有田郡石垣庄吉原村(現:和歌山県有田川町歓喜寺中越)で生まれた。 幼名は薬師丸。 治承4年(1180年)、9歳(数え年。 以下同様)にして両親を失い、翌年、高雄山神護寺に文覚の弟子で叔父の上覚に師事(のち、文覚にも師事)、華厳五教章・倶舎頌を読んだ。 16歳で出家し、文...
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