小説家・翻訳家・評論家。1903(明治36)年、東京牛込に生まれる。一高理科に入学し、堀辰雄を知って文学への関心が高まり、東京外国語露語科に転学。卒業後、北大図書館に勤めながら創作を志し、ソ連通商部を経たあと文筆生活に入る。ロシア語はもとよりフランス語にも長け、プーシキン、ツルゲーネフ、ガルシン、チェーホフ、ゴーリキー~バルザック、ジード、シャルドンヌらの諸作品を翻訳する。とくにチェーホフ作品は、その彫琢された文章によって名訳の誉れが高い。これらの業績から翻訳家として有名になったが、小説も寡作ながら「垂水」「灰色の眼の女」「少年」など、高踏的な凝った文体で書いた。応仁の乱を題材にした「雪の宿り」は自らの戦争体験を重ね合わせた歴史小説の逸品。博学で和洋の文学に造詣深く、「散文の運命」「チェーホフ試論」などの評論がある。1957(昭和32)年、舌癌により鎌倉で死去。享年53。Wikipedia「神西清」
「青空文庫」より
神西 清(じんざい きよし、1903年11月15日 - 1957年3月11日)は、ロシア文学者、作家。 [生涯] 内務省の官吏の息子として東京市に生まれる。 1910年、麹町の番町小学校に入学。 父の転勤に伴って日本国内各地を転々とした末、父は台湾へ赴任。 清も台湾の日本人学校に学ぶ。 内向的で孤独な少年だった。 1912年、父をマラリアで失う。 1916年、東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)に入学。 このころ、母方の伯母を頼って北村家に同居。 従兄の北村寿夫の影響で文学に親しむ。 中学で、終生の友人竹山道雄と知り合う。 1920年、旧制第一高等学校に入学。 堀辰雄と知り合う、...
「Wikipedia」より