山田 無文(やまだ むもん、1900年7月16日 - 1988年12月24日)チベット探検で有名な河口慧海を頼って出家するが、あまりの厳しい生活に結核になってしまったというエピソードもある。 わかり易い法話で親しまれた。 河口慧海に出家を申し出ると、親宛に「修家は承知ですか」と手紙が送られる。 それを聞いた父は、「裁判官にでもしてやろうと学校に行かせたのに」と怒り、母は「ぼんさん(お坊さん)出さなあかん程、うちは世間に悪いことしてない」と泣く、父は親交のある人相見に無文を診せると「この子(無文)は孤独の性だな、坊主か何かになるしかない」と言われ、無文に「好きにせい」と言い放つ。 結核時、無文に...
「Wikipedia」より