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藤堂 明保(1915-1985)
藤堂 明保(とうどう あきやす、1915年9月20日 - 1985年1月2日)は、日本の中国語学者・中国文学者。 来歴・人物 三重県阿山郡(のちの上野市、現伊賀市域)生まれ。家系は津藩伊賀上野城代の藤堂家。父の赴任により大連で育つ。1938年東京帝国大学支那哲学科卒業後、外務省研修員として北京へ留学する。そのまま応召し、1941年に現地で除隊、さらに通訳として軍務に従事する。敗戦を南京で迎え、その翌日には軍命でハノイへ飛び、1947年に中国経由で復員する。 帰国後は第一高等学校教授を経て、1950年に東京大学文学部専任講師、1954年に同助教授、1963年に同教授。東大紛争で全共闘支持...
この人物の情報
schema:alternateName | トウドウ アキヤス |
schema:name | 藤堂 明保; 藤堂明保 |
schema:abstract | 藤堂 明保(とうどう あきやす、1915年9月20日 - 1985年1月2日)は、日本の中国語学者・中国文学者。 来歴・人物 三重県阿山郡(のちの上野市、現伊賀市域)生まれ。家系は津藩伊賀上野城代の藤堂家。父の赴任により大連で育つ。1938年東京帝国大学支那哲学科卒業後、外務省研修員として北京へ留学する。そのまま応召し、1941年に現地で除隊、さらに通訳として軍務に従事する。敗戦を南京で迎え、その翌日には軍命でハノイへ飛び、1947年に中国経由で復員する。 帰国後は第一高等学校教授を経て、1950年に東京大学文学部専任講師、1954年に同助教授、1963年に同教授。東大紛争で全共闘支持... |
schema:birthDate | 1915 |
schema:deathDate | 1985 |
schema:description | 教員 |