田中 融二(たなか ゆうじ、1926年 - 1998年5月12日)は、日本の翻訳家。 大学予科から海軍予備学校生徒となり、東京大空襲で父を、広島の原爆で母を失い、敗戦後一橋大学卒業。 さまざまな職業に就きつつ翻訳をし、1957年沼田茂の名で「或る遺書」により文学界新人賞受賞。 小説は翌年「鶏」を『文學界』に発表したのみで、以後翻訳家として生計を立てる。 推理もの、SF、ビジネスものなど多数を翻訳、E・S・ガードナー、レン・デイトンなどが多かった。 最後はがんを宣告され、北海道の小樽で自動車に排気ガスを引き込んで自殺した。 親友の宮田昇に予告していたという(宮田『戦後「翻訳」風雲録』) [翻訳...
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