橋田 東聲(はしだ とうせい、1886年12月20日 - 1930年12月20日)は、歌人、経済学者。 高知県中村市生まれ。 本名・丑吾。 中村中学時代に短歌をはじめ、第七高等学校在学中に『明星』の社友となる。 級友には中村憲吉。 東京帝国大学法学部卒。 在学中、伊藤左千夫に師事。 小説・新劇にも興味を持ち、森田草平と同居をしていた。 東京日日新聞に勤務を経て、1919年歌誌『覇王樹』を創刊し主宰。 文部省嘱託、明治大学講師をへて、1930年東京外国語学校教授に任命されたが二日後に死去した。 妻は同じく歌人で『平城山』の作詞者でもある北見志保子。 しかし後に協議離婚し、志保子は東聲の弟子であっ...
「Wikipedia」より