1879(明治12)年10月1日、日本橋通油町に生まれる。源泉小学校という代用小学校に通う。十九歳で結婚するも、十年の後協議離婚する。その後作家として自立し、当初は女流劇作家の第一人者となる。大正期には「美人伝」の著者として有名となり、昭和期に入り「女人藝術」を創刊主宰し、女流作家の発掘につとめる。三上於菟吉の内縁の妻として、彼を支えたことも有名である。1941(昭和16)年8月22日死去。代表作に「美人伝」「旧聞日本橋」がある。Wikipedia「長谷川時雨」
「青空文庫」より
長谷川 時雨(はせがわ しぐれ、1879年(明治12年)10月1日 - 1941年(昭和16年)8月22日)は、劇作家・小説家。 雑誌や新聞を発行して、女性の地位向上の運動を率いた。 本名、長谷川ヤス。 画家・随筆家の長谷川春子は末妹。 [人物] 東京府日本橋区通油町1丁目(現在の東京都中央区日本橋大伝馬町3丁目)に、深造・多喜の長女として生まれた。 深造は日本初の免許代言人(弁護士)の一人で、東京市会の有力者でもあった。 多喜は御家人の娘であった。 5歳から12歳まで、秋山源泉小学校で寺子屋教育を受け、かたわら、唄・踊り・お花・お茶など当時の女子の躾けを受け、祖母には芝居へ連れられた。 女...
「Wikipedia」より