竹西 寛子(たけにし ひろこ、1929年4月11日 - )は、日本の小説家、日本芸術院会員、文化功労者。 [来歴・人物] 広島市皆実町(現・同市南区内)に生まれる。 家は醸造業だった。 第二次世界大戦中の1942年、県立広島女子専門学校(現広島県立広島皆実高等学校の前身校)に入学、戦争末期には学徒動員により軍需工場などでの勤労奉仕に従事した。 1945年8月6日の原爆投下の際は、たまたま体調を崩して爆心地から2.5kmの自宅に在宅していたために大きな被害を免れることができたが、多くの級友が被爆死し、この体験が後の文学活動の根本になっている。 1952年早稲田大学国文科を卒業した後、1957年...
「Wikipedia」より