Wikipedia「薄田泣菫」
「青空文庫」より
薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん、1877年(明治10年)5月19日 - 1945年(昭和20年)10月9日)は、日本の詩人。 本名、淳介(じゅんすけ)。 『暮笛集』『白羊宮』などで島崎藤村、土井晩翠の後を継ぐ浪漫派詩人として登場。 また、象徴派詩人として蒲原有明と併称された。 大正以後は詩作を離れ、『茶話』『艸木虫魚』などの随筆を書いた。 [生涯] 1877年5月13日、岡山県浅口郡大江連島村(現在の倉敷市連島町)に、薄田篤太郎、里津の長男として生れた。 父は村役場の書記で、俳諧を嗜んでいた。 玉島高等小学校を経て、岡山県尋常中学校(後に第一岡山中学校。 現在の県立岡山朝日高校)を中退。 ...
「Wikipedia」より