埼玉生まれ。明冶・大正期の指導的大実業家。豪農の長男。一橋家に仕え、慶応3年(1867)パリ万国博覧会に出席する徳川昭武に随行し、欧州の産業、制度を見聞。明治2年(1869)新政府に出仕し、5年(1872)大蔵大丞となるが翌年退官して実業界に入る。第一国立銀行の総監役、頭取となった他、王子製紙、大阪紡績、東京瓦斯など多くの近代的企業の創立と発展に尽力した。『論語』を徳育の規範とし、「道徳経済合一説」を唱える。大正5年(1916)実業界から引退するが、その後も社会公共事業や国際親善に力を注いだ。明治33年(1900)男爵、大正9年(1920)子爵。
「近代日本人の肖像」より
渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。 第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。 理化学研究所の創設者でもある。 正二位勲一等子爵。 雅号に青淵(せいえん)。 [経歴] 天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)に父・市郎右衛門、母・エイの長男として生まれた。 幼名は栄二郎。 のちに、栄一郎、篤太夫、篤太郎。 渋沢成一郎は従兄。 渋沢...
「Wikipedia」より