群馬県碓氷郡西上磯部村生まれ。1912(明治45)年、北原白秋主宰「朱欒(ザンボア)」12月号に『藍色の蟇』『慰安』を吉川惣一郎の名で発表。萩原朔太郎などに影響を与える。生活のためサラリーマン生活を送るが、その間もひたすら詩作に没頭した。1934(昭和9)年4月18日、結核にて死去。Wikipedia「大手拓次」
「青空文庫」より
大手 拓次(おおて たくじ、1887年11月3日〔ただし戸籍では12月3日〕 - 1934年4月18日)は、日本の詩人。 [人物] 群馬県碓氷郡西上磯部村(現安中市)、磯部温泉の温泉旅館・蓬莱館の家に生まれる。 同県の安中中学校、高崎中学校、早稲田大学第三高等予科を経て、1907年9月、早稲田大学文学部英文科に入学。 この頃より詩を発表しはじめた。 1912年卒業。 卒論は「私の象徴詩論」。 卒業後しばらくは、詩作のほかこれといった仕事をせず、貧窮に甘んじていたが、1916年にライオン歯磨本舗に就職。 以後、生涯をサラリーマンと詩人の二重生活に捧げた。 学生時代以来の左耳難聴や頭痛に悩まされ...
「Wikipedia」より