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楊 慎(1488-1559)
楊 慎(よう しん、1488年 - 1559年)は、明の文人。字は用修。号は升庵、別の号に博南山人・博南戍史がある。諡号は文憲。 生涯 先祖の本貫は吉安府廬陵県。成都府新都県に生まれる。父の楊廷和は少師大学士であった。4歳の時に母から唐代の絶句を教えられ、すぐに暗誦したという。12歳の時に祖母の訃報を受けた父に従って蜀に行き、そこで父から『易経』を教えられ、「古戦場文」という一文を作っている。文中「青楼は紅粉の魂を断ち、白日は翠苔の骨を照らす」という名句があり、人々に愛唱されたという。弘治14年(1501年)に渭城を通り過ぎた際、「送別の詩」と「霜葉詩」を作り、さらに「万葉詩」が後に吏...
この人物の情報
schema:alternateName | ヨウ シン |
schema:name | 楊 慎; 楊慎 |
schema:abstract | 楊 慎(よう しん、1488年 - 1559年)は、明の文人。字は用修。号は升庵、別の号に博南山人・博南戍史がある。諡号は文憲。 生涯 先祖の本貫は吉安府廬陵県。成都府新都県に生まれる。父の楊廷和は少師大学士であった。4歳の時に母から唐代の絶句を教えられ、すぐに暗誦したという。12歳の時に祖母の訃報を受けた父に従って蜀に行き、そこで父から『易経』を教えられ、「古戦場文」という一文を作っている。文中「青楼は紅粉の魂を断ち、白日は翠苔の骨を照らす」という名句があり、人々に愛唱されたという。弘治14年(1501年)に渭城を通り過ぎた際、「送別の詩」と「霜葉詩」を作り、さらに「万葉詩」が後に吏... |
schema:birthDate | 1488 |
schema:deathDate | 1559 |
schema:description | 詩人 |