沈 家本(しん かほん)は清末民初の法律家。 字は子惇、号は寄簃。 [来歴・人物] 1883年に進士となり、天津や保定の知府となった。 1900年、山西按察使となるが、赴任しないうちに義和団の乱がおこった。 八か国連合軍が保定に入ると義和団を助けたと誣告され、入獄した。 釈放後、刑部右侍郎、修訂法律大臣、大理院正卿、法部右侍郎、資政院副総裁などを歴任した。 1911年には法部左侍郎と袁世凱内閣の司法大臣に任命された。 1905年には沈家本の建議で凌遅刑・梟首・戮屍・連座・刺青・笞杖などの酷刑が廃止された。 また刑法の改定にも取り組み、新刑法の草案として西洋と日本の刑法を参照した『大清新刑律』...
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