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黎 庶昌(1837-1897)
黎 庶昌(れい しょしょう、Li Shuchang、1837年 ‐ 1897年)は、清末の外交官。字は蒓斎。 経歴 貴州省遵義府遵義県沙灘出身。鄭珍について学んだ。1870年より呉江県・青浦県の知県を務めた後、曽国藩の幕僚となり、桐城派の文章を学んだ。張裕釗・呉汝綸・薛福成とともに「曽門四弟子」と称された。 1876年、郭嵩燾がイギリスに公使として赴くと、参事官として同行した。ベルギー、スウェーデン、ポルトガル、オーストリアを歴訪し、その記録を『西洋雑志』としてまとめた。1881年、何如璋の後任の公使として日本に派遣された。1884年に帰国したものの、1887年に再び駐日公使に就任した...
この人物の情報
schema:alternateName | レイ ショショウ |
schema:name | 黎 庶昌; 黎庶昌 |
schema:abstract | 黎 庶昌(れい しょしょう、Li Shuchang、1837年 ‐ 1897年)は、清末の外交官。字は蒓斎。 経歴 貴州省遵義府遵義県沙灘出身。鄭珍について学んだ。1870年より呉江県・青浦県の知県を務めた後、曽国藩の幕僚となり、桐城派の文章を学んだ。張裕釗・呉汝綸・薛福成とともに「曽門四弟子」と称された。 1876年、郭嵩燾がイギリスに公使として赴くと、参事官として同行した。ベルギー、スウェーデン、ポルトガル、オーストリアを歴訪し、その記録を『西洋雑志』としてまとめた。1881年、何如璋の後任の公使として日本に派遣された。1884年に帰国したものの、1887年に再び駐日公使に就任した... |
schema:birthDate | 1837 |
schema:deathDate | 1897 |
schema:description | 外交官 |