1889(明治22)年3月1日、東京赤坂青山南町の大貫家別荘で生まれる。本名カノ。跡見女学校卒業後、与謝野晶子に師事し、「明星」や「スバル」に短歌を発表した。明治43年、上野美術学校の画学生岡本一平と結婚。翌年岡本太郎誕生。しかし、それぞれの強烈な個性が激突し、かの子の身内の不幸も重なって、結婚生活は破綻した。その結婚生活の地獄を乗り越えるため、夫婦で宗教遍歴をし、大乗仏教に辿り着く。1936年、芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』によって文壇に登場。その後、『母子叙情』『金魚撩乱』『老妓抄』などを発表。1939年(昭和14)年2月18日、脳溢血にて死去。Wikipedia「岡本かの子」
「青空文庫」より
岡本 かの子(おかもと かのこ、1889年3月1日 - 1939年2月18日)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。 本名カノ。 東京府東京市赤坂区(現東京都港区)青山南町生まれ。 跡見女学校卒業。 漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。 小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。 耽美妖艶の作風を特徴とする。 私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」を送ったことで知られる。 [経歴] 代々幕府や諸藩の御用達を業としていた豪商の大貫家の別邸で誕生。 大貫家は、神奈川県橘樹郡高津村(現川崎市高津区)二子に居を構え...
「Wikipedia」より