東京生まれ、ジャーナリスト、漢詩人、随筆家。父は幕府奥儒者。安政3年(1856)奥儒者に任命され、徳川家定・家茂に経学を講じる。文久3年(1863)、狂詩により幕府を諷したかどで、閉門。慶応元年(1865)再び登用され、外国奉行、会計副総裁などを歴任。維新後は明治7年(1874)『柳橋新誌』を刊行、同年9月には「朝野新聞」の主筆として迎えられ、諷刺に富んだ文章で名声を博す。10年(1877)には文芸雑誌「花月新誌」を創刊した。
「近代日本人の肖像」より
Wikipedia「成島柳北」
「青空文庫」より
成島 柳北 (なるしま りゅうほく、1837年3月22日(天保8年2月16日) - 1884年(明治17年)11月30日)は、江戸時代末期(幕末)の江戸幕府・将軍侍講、奥儒者、文学者、ジャーナリスト。 明治時代以降はジャーナリストとしても活躍。 また、姪孫に俳優の森繁久彌がいる事でも著名。 [略歴] 武蔵国浅草御廐河岸(現・東京都台東区蔵前2丁目)の松本家の3男として生まれた。 幼名:甲子麿(こしまろ)→甲子太郎(こしたろう)→惟弘(これひろ)、弘。 のちに代々奥儒者の家柄である成島家へと養子に出され、第7代目奥儒者・成島稼堂の養子となり、成島姓となる。 そして、養父の跡を継ぎ、第8代目奥儒...
「Wikipedia」より