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直井 武夫(1897-1990)
直井 武夫(なおい たけお、1897年1月3日 - 1990年8月22日)は、日本のジャーナリスト、評論家、翻訳家。自由主義の立場からマルクス主義文献を翻訳、ソ連の動向について論評した。 香川県生まれ。同志社大学神学部中退の後に山川均に勧められて上京。1927年に日本共産党に入党するが三・一五事件で検挙されて獄中で転向。出獄後の1935年に内閣調査局入りし、企画院を経て北支那開発でソ連研究を担当する。 戦後帰国するとニューリーダー誌の通信員の傍ら、ハーバート・パッシンとも交流。民主労働者協会や日本文化フォーラムに参加し、『自由』誌の創刊にも関わった。 著書 『ソ聯邦の製鉄業に就て』皐月...
この人物の情報
schema:alternateName | ナオイ タケオ |
schema:name | 直井 武夫; 直井武夫 |
schema:abstract | 直井 武夫(なおい たけお、1897年1月3日 - 1990年8月22日)は、日本のジャーナリスト、評論家、翻訳家。自由主義の立場からマルクス主義文献を翻訳、ソ連の動向について論評した。 香川県生まれ。同志社大学神学部中退の後に山川均に勧められて上京。1927年に日本共産党に入党するが三・一五事件で検挙されて獄中で転向。出獄後の1935年に内閣調査局入りし、企画院を経て北支那開発でソ連研究を担当する。 戦後帰国するとニューリーダー誌の通信員の傍ら、ハーバート・パッシンとも交流。民主労働者協会や日本文化フォーラムに参加し、『自由』誌の創刊にも関わった。 著書 『ソ聯邦の製鉄業に就て』皐月... |
schema:birthDate | 1897 |
schema:deathDate | 1990 |
schema:description | ジャーナリスト |