中野 友禮(なかの とものり、1887年2月1日 - 1965年12月10日)は、日本の実業家。 中野式食塩電解法の開発を契機に日曹コンツェルンを築く。 [生涯] 福島県大沼郡川西村(現・三島町)西方の旧会津藩士の家に生まれる。 神尾彦之進の二男で、幼児に中野家の養子になった。 旧制会津中学校(現・福島県立会津高等学校)を卒業後、一高の臨時中学校養成所に進んだ。 その後、1908年(明治41年)、京都帝国大学理学部化学教室助手となり、中野式食塩電解法(電解ソーダ法)を開発し特許を得た。 中野はこの技術を元にして、1920年(大正9年)に日本曹達を設立し、苛性ソーダ、さらし粉の生産を開始した。...
「Wikipedia」より