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趙 陶斎(1713-1786)
趙 陶斎(ちょう とうさい、正徳3年(1713年) - 天明6年4月20日(1786年5月17日))は、江戸時代中期の書家である。 名は養、字を仲頤、号は陶斎、他に息心居士、枸杞園、清嘩閣等がある。長崎生まれ。 生涯 趙淞陽という清国南京の来舶商人が丸山遊廓に遊び、陶斎はこの中国人と花魁との間に生まれた。趙子昂の末裔ともいわれる。幼くして孤児となり不遇な生い立ちでは会ったが、清の帰化僧竺庵浄印が長崎の東明山興福寺に来たとき、竺庵に目をかけられこれに入門。11歳で僧となる。享保19年(1734年)に竺庵が黄檗宗本山である宇治萬福寺の堂頭になったため、一緒に京都に上る。28歳までの18年間...
この人物の情報
schema:alternateName | チョウ トウサイ |
schema:name | 趙 陶斎; 趙陶斎; 趙, 養 |
schema:abstract | 趙 陶斎(ちょう とうさい、正徳3年(1713年) - 天明6年4月20日(1786年5月17日))は、江戸時代中期の書家である。 名は養、字を仲頤、号は陶斎、他に息心居士、枸杞園、清嘩閣等がある。長崎生まれ。 生涯 趙淞陽という清国南京の来舶商人が丸山遊廓に遊び、陶斎はこの中国人と花魁との間に生まれた。趙子昂の末裔ともいわれる。幼くして孤児となり不遇な生い立ちでは会ったが、清の帰化僧竺庵浄印が長崎の東明山興福寺に来たとき、竺庵に目をかけられこれに入門。11歳で僧となる。享保19年(1734年)に竺庵が黄檗宗本山である宇治萬福寺の堂頭になったため、一緒に京都に上る。28歳までの18年間... |
schema:birthDate | 1713 |
schema:deathDate | 1786 |
schema:description | 随筆家 |