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徳川 治保(1751-1805)
徳川 治保(とくがわ はるもり)は、常陸国水戸藩の第6代藩主。水戸藩中興の祖といわれる。 生涯 寛延4年(1751年)8月16日、徳川宗翰の長男として生まれる。15代将軍・徳川慶喜の曽祖父にあたる。母は榊原篤郷の娘・美衛(智仙院)。幼名は英之允、後に鶴千代。 明和3年(1766年)、父の死去により16歳で家督を継ぐ。文化2年(1805年)の死去まで40年間におよぶ治世は、初代・頼房に次ぐ長さである。しかし3代続けての若年での藩主就任であり、しかも亡父の改革が挫折したことによる混乱などもあって、藩の財政はさらに悪化しており、百姓一揆にも悩まされた。安永7年(1778年)には、幕府から財政...
この人物の情報
schema:alternateName | トクガワ ハルモリ |
schema:name | 徳川 治保; 徳川治保; 治保; 子安; 舜山; 文公 |
schema:abstract | 徳川 治保(とくがわ はるもり)は、常陸国水戸藩の第6代藩主。水戸藩中興の祖といわれる。 生涯 寛延4年(1751年)8月16日、徳川宗翰の長男として生まれる。15代将軍・徳川慶喜の曽祖父にあたる。母は榊原篤郷の娘・美衛(智仙院)。幼名は英之允、後に鶴千代。 明和3年(1766年)、父の死去により16歳で家督を継ぐ。文化2年(1805年)の死去まで40年間におよぶ治世は、初代・頼房に次ぐ長さである。しかし3代続けての若年での藩主就任であり、しかも亡父の改革が挫折したことによる混乱などもあって、藩の財政はさらに悪化しており、百姓一揆にも悩まされた。安永7年(1778年)には、幕府から財政... |
schema:birthDate | 1751 |
schema:deathDate | 1805 |