毛利 空桑   (1797-1884)

毛利 空桑(もうり くうそう、1797年2月11日(寛政9年1月15日) - 1884年(明治17年)12月22日)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍した豊後国大分郡高田郷(現在の大分県大分市鶴崎)出身の儒学者、教育家、尊皇論者。 名は倹、字は慎甫、通称は到。 [略歴] 1797年(寛政9年)に、熊本藩の飛び地であった豊後国大分郡高田郷常行で、熊本藩の藩医毛利太玄の第二子として生まれる。 14歳の時に、豊後国速見郡出身で高田郷で塾を開いていた脇蘭室に入門。 文化10年(1813年)には、速見郡日出の帆足万里のもとで儒学を学び、後には熊本藩の藩校時習館、福岡藩の亀井昭陽にも学んだ。 ...

「Wikipedia」より

この人物の情報

人物名ヨミ モウリ クウソウ
人物別名 毛利空桑

毛利, 慎南

毛利, 倹
生年 1797年
没年 1884年
職業・経歴等 学者

本の一覧

タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
川上紀行 空桑先生著 ; 毛利弘訓読 毛利弘
1981.4
毛利空桑書簡集 - 毛利空桑記念館
1967
毛利空桑全集 十時英司 編 毛利空桑先生追遠会
昭和9
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