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三輪田 米山(1821-1908)
三輪田 米山(みわだ べいざん、文政4年1月10日(1821年2月12日)- 明治41年(1908年)11月3日)は江戸末期から明治にかけての書家。本名は常貞、また清門。幼名は秀雄。字は子謙。別号は得正軒主人。僧明月、僧懶翁とともに伊予三筆と並び称される。 人物・来歴 伊予国久米郡(現在の愛媛県松山市)の日尾八幡神社神官三輪田清敏の長男に生まれる。神官宅は鷹子村、神社は南久米村だが両所は村境を挟んで隣接している。出身地に鷹子村、南久米村の二様があるのはこのためである。 嘉永元年(1848年)、父死去、神官を嗣ぐ。 国学、漢学、和歌を国学者大国隆正に学ぶ。また書を日下陶渓(字・伯巌)を手...
この人物の情報
schema:alternateName | ミワタ ベイザン |
schema:name | 三輪田 米山; 三輪田米山; 三輪田, 常貞; 三輪田, 秀雄 |
schema:abstract | 三輪田 米山(みわだ べいざん、文政4年1月10日(1821年2月12日)- 明治41年(1908年)11月3日)は江戸末期から明治にかけての書家。本名は常貞、また清門。幼名は秀雄。字は子謙。別号は得正軒主人。僧明月、僧懶翁とともに伊予三筆と並び称される。 人物・来歴 伊予国久米郡(現在の愛媛県松山市)の日尾八幡神社神官三輪田清敏の長男に生まれる。神官宅は鷹子村、神社は南久米村だが両所は村境を挟んで隣接している。出身地に鷹子村、南久米村の二様があるのはこのためである。 嘉永元年(1848年)、父死去、神官を嗣ぐ。 国学、漢学、和歌を国学者大国隆正に学ぶ。また書を日下陶渓(字・伯巌)を手... |
schema:birthDate | 1821 |
schema:deathDate | 1908 |
schema:description | 能書家 |