アール・デア・ビガース(Earl Derr Biggers)は1884年オハイオ生まれ。ボストン・トラベラー紙で演劇欄を担当していたが歯に衣を着せぬ批評を展開して1912年に首になる。1913年に発表した長編小説「ポルドペイトへの7つの鍵」で作家として認められ、その後の「愛情保険」(1914)、「私事広告欄」(1916)も好評を博した。劇作家としても精力的に活動していたが、1919年に骨休めに夫人とハワイへ旅行したことがきっかけとなり、1920年代アメリカン・ミステリーを代表するチャーリー・チャン警部が生み出された。「チャイナタウン=悪の巣窟」「中国人=悪者」というステレオタイプをひっくり返したシリーズ第一作「鍵のない家」(1925)は熱狂的に読者に迎えられ、1932年の「鍵の番人」まで全六作が上梓された。そのいずれもが映画化されたり、舞台化されている。ビガースはチャーリー・チャン以外の作品も書きたかったのだが、1929年に大不況が始まり、経済的な理由から人気シリーズを続けるしかなかったらしい。1933年に心臓発作で亡くなっている。(林清俊)Wikipedia「Earl Derr Biggers」
「青空文庫」より