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槙 有恒(1894-1989)
槇 有恒(まき ゆうこう、「ありつね」とも、1894年〈明治27年〉2月5日 - 1989年〈平成元年〉5月2日)は、宮城県仙台市出身の日本の登山家。日本山岳会設立者・会長(2期)、日本山岳協会会長・名誉会員を歴任し、ヒマラヤの8,000m峰・マナスル第3次登頂隊長として日本隊のマナスル初登頂を成功させた。近代アルピニズムの開拓者・紹介者。位階は従四位。文化功労者、仙台市名誉市民。 略歴 父・槇武は新潟県の士族であったが、幕末・維新期に仙台藩が越後国長岡藩と友好的であったことや、福澤諭吉の推薦などによって、有恒が生まれる頃は『奥羽日日新聞』主幹として仙台に赴任していた。 本籍地は東京都...
この人物の情報
schema:alternateName | マキ アリツネ |
schema:name | 槙 有恒; 槙有恒 |
schema:abstract | 槇 有恒(まき ゆうこう、「ありつね」とも、1894年〈明治27年〉2月5日 - 1989年〈平成元年〉5月2日)は、宮城県仙台市出身の日本の登山家。日本山岳会設立者・会長(2期)、日本山岳協会会長・名誉会員を歴任し、ヒマラヤの8,000m峰・マナスル第3次登頂隊長として日本隊のマナスル初登頂を成功させた。近代アルピニズムの開拓者・紹介者。位階は従四位。文化功労者、仙台市名誉市民。 略歴 父・槇武は新潟県の士族であったが、幕末・維新期に仙台藩が越後国長岡藩と友好的であったことや、福澤諭吉の推薦などによって、有恒が生まれる頃は『奥羽日日新聞』主幹として仙台に赴任していた。 本籍地は東京都... |
schema:birthDate | 1894 |
schema:deathDate | 1989 |
schema:description | 登山家 |