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万里小路 正房(1802-1859)
万里小路 正房(までのこうじ なおふさ)は、江戸時代後期の公卿。権大納言・万里小路建房の子。官位は従三位・権大納言。万里小路家24代当主。 経歴 京都で誕生。初め寿房と名乗った。 文政3年(1820年)叙爵。弁官、蔵人頭を歴任し、天保9年(1838年)参議、天保12年(1841年)従三位に昇進し、また嘉永元年(1848年)権中納言となる。 嘉永6年(1853年)議奏となって以後、朝幕関係の朝廷に奔走する事となり、安政2年(1855年)アメリカ・イギリス・ロシアとの和親条約の謄本を受理する。安政4年(1857年)権大納言となり、翌年には公武合体を唱え、また条約勅許問題や将軍継嗣問題におい...
この人物の情報
schema:alternateName | マデノコウジ ナオフサ |
schema:name | 万里小路 正房; 万里小路正房 |
schema:abstract | 万里小路 正房(までのこうじ なおふさ)は、江戸時代後期の公卿。権大納言・万里小路建房の子。官位は従三位・権大納言。万里小路家24代当主。 経歴 京都で誕生。初め寿房と名乗った。 文政3年(1820年)叙爵。弁官、蔵人頭を歴任し、天保9年(1838年)参議、天保12年(1841年)従三位に昇進し、また嘉永元年(1848年)権中納言となる。 嘉永6年(1853年)議奏となって以後、朝幕関係の朝廷に奔走する事となり、安政2年(1855年)アメリカ・イギリス・ロシアとの和親条約の謄本を受理する。安政4年(1857年)権大納言となり、翌年には公武合体を唱え、また条約勅許問題や将軍継嗣問題におい... |
schema:birthDate | 1802 |
schema:deathDate | 1859 |
schema:description | 公家 |