黄 宗羲(こう そうぎ ホァン・ツォンシー:Huáng Zōngxī、万暦38年8月8日(1610年9月24日) - 康熙34年7月3日(1695年8月12日)は中国明末、清初の儒学者。 明の滅亡に際して反清運動に参加するが後に故郷に隠棲して学術に没頭、陽明学右派の立場から実証的な思想を説き、考証学の祖と称された。 [事績] 黄宗羲は字は太沖、号は南雷、梨洲という。 浙江省余姚の出身であり、王陽明とは同郷にあたる。 父の黄尊素は明末の東林党の指導者の一人として知られ、1626年に時の権力者で、東林党に対抗する閹党を従えていた魏忠賢の弾圧を受け獄死した。 黄宗羲は東林党の精神を引き継いだ政治結...
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