羽柴 雄輔   (1851-1921)

羽柴 雄輔(はしば ゆうすけ、嘉永4年(1851年)6月22日 - 大正10年(1921年)12月5日)は、幕末期の武士(庄内藩士)、郷土史研究家。 慶應義塾大学図書館に勤務して考古学、民俗学、人類学を研究・編纂し「奥羽人類学会」を創設した。 号は千瓢庵猿面、別名は久明または良策。 [経歴] 飽海郡松山町(現・酒田市)に、庄内藩の医師・羽柴服笥(養倫)の子として生まれる。 阿部灌策に本草学を、海保弁之助に漢学を学び、慶応4年(1868年)7月、戊辰戦争に二番大隊軍監兼参謀として出征。 敗戦後、庄内藩に対して朝敵の汚名を着せた官軍を批判した論文『東北人謬見考評論』を発表する。 松山藩の家老であ...

「Wikipedia」より

この人物の情報

人物名ヨミ ハシバ ユウスケ
人物別名 羽柴雄輔
生年 1851年
没年 1921年
職業・経歴等 教員

本の一覧

タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
東北人謬見考評論 羽柴雄輔 著 羽柴雄輔
昭和7
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