倉本 聰(くらもと そう、戸籍上は1935年1月1日(実際は1934年12月31日)- )は、日本の脚本家・劇作家・演出家。 本名山谷馨。 夫人は女優の平木久子(演劇集団 円所属)。 [略歴] 東京府(現・東京都)出身。 父・山谷太郎(1899年 - 1952年)は春潮という俳号を持つ俳人で、『野鳥歳時記』(1943年)を残した。 両親はともにクリスチャンだった。 戦時中は山形市上山市や岡山県金光町に疎開。 このうち、上山への疎開は政府が実施した学童集団疎開によるもので、都会育ちの倉本は大きなカルチャーショックを受けた。 東京に帰りたいと考えた倉本は仮病を使って数か月後には東京に戻ることに成...
「Wikipedia」より