徽宗 (きそう)は、北宋の第8代皇帝。 諡号は体神合道駿烈遜功聖文仁徳憲慈顕孝皇帝(退位したので「遜」(ゆずる)という文字が入っている)。 諱は佶。 第6代皇帝神宗の六男(第11子)。 芸術面では北宋最高の1人と言われる。 [生涯] 元符3年(1100年)、兄哲宗が嗣子のないまま25歳で崩御したため、弟である趙佶が皇帝に即位した。 宰相章惇ら重臣は趙佶の皇帝としての資質に疑念を抱いていたため他の皇子(簡王)を皇帝に推したが、皇太后向氏の意向により趙佶に決まったとされている。 治世当初は芸術家の魂ともいえる絵筆を折って政治への意欲を示し、穏健な新法派で皇太后の信任が厚かった曾布を重用、曾布は新...
「Wikipedia」より