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徽宗(1082-1135)
徽宗(きそう)は、北宋の第8代皇帝。諡号は体神合道駿烈遜功聖文仁徳憲慈顕孝皇帝(退位したので「遜」(ゆずる)という文字が入っている)。諱は佶。第6代皇帝神宗の六男(第11子)。 書画の才に優れ、北宋最高の芸術家の一人と言われる。一方で政治的には無能で、彼の治世には人民は悪政に苦しみ、『水滸伝』のモデルになった宋江の乱など、地方反乱が頻発した。 生涯 即位と治世 元符3年(1100年)、兄哲宗が嗣子のないまま25歳で崩御したため、弟である趙佶が皇帝に即位した。宰相章惇ら重臣は趙佶の皇帝としての資質に疑念を抱いていたため他の皇子(簡王趙似など)を皇帝に推したが、皇太后向氏の意向により趙佶に...
この人物の情報
schema:alternateName | キソウ |
schema:name | 徽宗; 宣和; 佶; 趙; 宣和主人 |
schema:abstract | 徽宗(きそう)は、北宋の第8代皇帝。諡号は体神合道駿烈遜功聖文仁徳憲慈顕孝皇帝(退位したので「遜」(ゆずる)という文字が入っている)。諱は佶。第6代皇帝神宗の六男(第11子)。 書画の才に優れ、北宋最高の芸術家の一人と言われる。一方で政治的には無能で、彼の治世には人民は悪政に苦しみ、『水滸伝』のモデルになった宋江の乱など、地方反乱が頻発した。 生涯 即位と治世 元符3年(1100年)、兄哲宗が嗣子のないまま25歳で崩御したため、弟である趙佶が皇帝に即位した。宰相章惇ら重臣は趙佶の皇帝としての資質に疑念を抱いていたため他の皇子(簡王趙似など)を皇帝に推したが、皇太后向氏の意向により趙佶に... |
schema:birthDate | 1082 |
schema:deathDate | 1135 |
schema:description | 能書家 |