千葉生まれ、詩人、小説家。明治24年(1891)東京専門学校中退。 在学中に植村正久から受洗、青年文学会では徳富蘇峰の知遇を得る。27年(1894)国民新聞社入社。日清戦争に記者として従軍。その後、新聞雑誌に発表した詩を、田山花袋らとの合著『抒情詩』(1897)に、「独歩吟」としてまとめる。次いで浪漫的短編集『武蔵野』(1901)を刊行、続く『独歩集』(1905)、『運命』(1906)などで、自然主義の先駆と目される。
「近代日本人の肖像」より
1871-1908。千葉県銚子生まれ。本名は哲夫。東京専門学校(現・早大)に在学中、「青年思海」「女学雑誌」に投稿。その後「青年文学」に参加し、日清戦争の時は従軍記者として「国民新聞」に通信を送り続けた。1897年、処女小説『源叔父』を発表。代表作として『武蔵野』『忘れえぬ人々』。Wikipedia「国木田独歩」
「青空文庫」より
国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。 千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 幼名を亀吉、のちに哲夫と改名した。 筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表。 詩、小説を書いたが、次第に小説に専心。 「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。 また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手...
「Wikipedia」より