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浅井 得一(1913-2003)
浅井 得一(あさい とくいち、1913年 - 2003年)は、日本の地理学者(地理教育)、軍人。 経歴 東京生まれ。1936年京都帝国大学文学部地理学専攻卒。小牧実繁らの大東亜地理学派の一人。戦時下の1942年12月、南方軍情報官としてビルマに赴任、陸軍司政官となる。1944年4月25日、南方軍ビルマ方面軍・磯村武亮参謀副長の示唆を受け、ビルマ国国家主席・バー・モウの暗殺を企てるが、ビルマ兵の警戒により失敗、逮捕されるも日本へ帰される。逃亡中、長く豚小屋に潜んでいたため豚コレラに感染。終生、右腕が不自由で、黒板の板書は利き腕ではない左手で書くので板書には苦労した。 その後、京都大学人文...
この人物の情報
schema:alternateName | アサイ トクイチ |
schema:name | 浅井 得一; 浅井得一 |
schema:abstract | 浅井 得一(あさい とくいち、1913年 - 2003年)は、日本の地理学者(地理教育)、軍人。 経歴 東京生まれ。1936年京都帝国大学文学部地理学専攻卒。小牧実繁らの大東亜地理学派の一人。戦時下の1942年12月、南方軍情報官としてビルマに赴任、陸軍司政官となる。1944年4月25日、南方軍ビルマ方面軍・磯村武亮参謀副長の示唆を受け、ビルマ国国家主席・バー・モウの暗殺を企てるが、ビルマ兵の警戒により失敗、逮捕されるも日本へ帰される。逃亡中、長く豚小屋に潜んでいたため豚コレラに感染。終生、右腕が不自由で、黒板の板書は利き腕ではない左手で書くので板書には苦労した。 その後、京都大学人文... |
schema:birthDate | 1913 |
schema:deathDate | 2003 |
schema:description | 教員 |