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康 有為(1858-1927)
康 有為(こう ゆうい)は、清末民初にかけての思想家・政治家・書家。字は広厦、号は長素、のちに更生(更甡)と称した。出身地から康南海とも呼ばれる。 生涯 1858年、現在の仏山市南海区において出生。幼少の頃から学問に優れた才を発揮し、広東の名儒朱次琦につき漢宋兼採の儒学を学ぶも飽きたらず、陽明学や仏教をも独学で修めた。ついで科挙受験の帰途香港や上海に出て欧米の文明・思想に触れてからは西欧諸学の訳書をも渉猟し、その学識を広めた。1890年、郷里にほど近い広州に私塾万木草堂を開いて自分の教えを子弟に授け始め、彼らが後の戊戌変法の担い手となった。 1895年、康有為が科挙に合格した時はまさし...
この人物の情報
schema:alternateName | コウ ユウイ |
schema:name | 康 有為; 康有為; 広夏; 長素 |
schema:abstract | 康 有為(こう ゆうい)は、清末民初にかけての思想家・政治家・書家。字は広厦、号は長素、のちに更生(更甡)と称した。出身地から康南海とも呼ばれる。 生涯 1858年、現在の仏山市南海区において出生。幼少の頃から学問に優れた才を発揮し、広東の名儒朱次琦につき漢宋兼採の儒学を学ぶも飽きたらず、陽明学や仏教をも独学で修めた。ついで科挙受験の帰途香港や上海に出て欧米の文明・思想に触れてからは西欧諸学の訳書をも渉猟し、その学識を広めた。1890年、郷里にほど近い広州に私塾万木草堂を開いて自分の教えを子弟に授け始め、彼らが後の戊戌変法の担い手となった。 1895年、康有為が科挙に合格した時はまさし... |
schema:birthDate | 1858 |
schema:deathDate | 1927 |
schema:description | 儒学者 |