江 亢虎(こう こうこ)中華民国の政治家・左翼運動家。 清末に中国社会党を結成し、その指導者となった。 しかし後年になると伝統思想に傾倒し、保守派と目されるようになる。 汪兆銘政権が成立すると、その要人となった。 旧名は紹銓。 [事績] 12歳の時に北京の東文学堂に入り、1901年(光緒27年)に日本に留学する。 以降1903年(光緒29年)・1907年(光緒31年)と日本留学を果たし、その過程で社会主義者やアナキストと交わり社会主義思想に傾倒した。 1909年(宣統元年)、ブリュッセルで開催された第二インターナショナル大会に参加する。 1910年(宣統2年)から翌年にかけて欧州各国を訪問し...
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