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菊池 武夫(1854-1912)
菊池 武夫(きくち たけお、1854年8月21日(嘉永7年7月28日) - 1912年(明治45年)7月6日)は、日本の法学者。陸奥国岩手郡外加賀野村(後に南岩手郡、現在は岩手県盛岡市加賀野)出身。司法省民事局長、東京弁護士会会長、中央大学初代学長、貴族院勅選議員等を務めた。 経歴 1854年(嘉永7年)7月28日、岩手郡外加賀野村(現:盛岡市加賀野)にて、盛岡藩士の菊池長閑と茂の長男として生まれた。武夫の名は元服の際に作人館の教授であった江幡五郎(後の那珂通高)によって名付けられた。 1875年(明治8年)大学南校(のちの東京大学)を卒業し、明治政府の留学制度である「文部省貸費留学生...
この人物の情報
schema:alternateName | キクチ タケオ |
schema:name | 菊池 武夫; 菊池武夫 |
schema:abstract | 菊池 武夫(きくち たけお、1854年8月21日(嘉永7年7月28日) - 1912年(明治45年)7月6日)は、日本の法学者。陸奥国岩手郡外加賀野村(後に南岩手郡、現在は岩手県盛岡市加賀野)出身。司法省民事局長、東京弁護士会会長、中央大学初代学長、貴族院勅選議員等を務めた。 経歴 1854年(嘉永7年)7月28日、岩手郡外加賀野村(現:盛岡市加賀野)にて、盛岡藩士の菊池長閑と茂の長男として生まれた。武夫の名は元服の際に作人館の教授であった江幡五郎(後の那珂通高)によって名付けられた。 1875年(明治8年)大学南校(のちの東京大学)を卒業し、明治政府の留学制度である「文部省貸費留学生... |
schema:birthDate | 1854 |
schema:deathDate | 1912 |
schema:description | 教員 |