1868-1894。詩人、作家、評論家。本名、門太郎。神奈川県小田原市生まれ。1881(明治14)年に両親とともに東京に移住し、翌年、銀座の泰明小学校を卒業。透谷の名は、銀座数寄屋橋(すきやばし)の「数寄屋(すきや)」を「透谷(すきや)」にかえ、読みを「とうこく」にしたと言われる。一時期自由民権運動に深く影響されたが、のちになって政治から遠ざかり、キリスト教の信仰の世界に入る。25歳で自殺。Wikipedia「北村透谷」
「青空文庫」より
北村 透谷(きたむら とうこく、1868年12月29日(明治元年11月16日) - 1894年(明治27年)5月16日)は、日本の評論家・詩人。 明治期に近代的な文芸評論をおこない、島崎藤村らに大きな影響を与えた。 [人物] 相模国足柄下郡で没落士族の家に生まれた。 本名は北村門太郎。 両親とともに上京し、東京の数寄屋橋近くの泰明小学校に通った(のちの筆名・透谷は「すきや」をもじったもの)。 1883年、東京専門学校(現在の早稲田大学)政治科に入学(東京専門学校には、1886年(明治19年)頃まで籍を置いていたとされるが、卒業はしていない)。 自由民権運動に参加したが、運動は次第に閉塞してゆ...
「Wikipedia」より