Wikipedia「魏徴」
「青空文庫」より
魏 徴(ぎ ちょう、580年 - 643年)は唐の政治家。 字は玄成。 太宗らに仕え、諫議大夫・左光禄大夫に任じられ、鄭国公に封じられた。 直諫(じかに諫言)することで有名であり、そのやりとりは『貞観政要』に多く載せられている。 [略歴] 巨鹿曲城(今の河北省)の人。 幼少時貧困で、隋末に李密(瓦崗軍)のもとへ身を寄せ、敗戦して唐へ帰する。 竇建徳の捕虜となり、才能を見出される。 建徳の兵が敗れ、唐へ帰り、太子洗馬つまり李建成の側近の地位を得た。 玄武門の変で建成が死ぬと、太宗は率直さを評価して諫議大夫へ昇進させた、後に秘書監、侍中等の職を転任。 癇癪を起こした太宗を二百回余りも諌めた。 死...
「Wikipedia」より