金 史良   (1914-1950)

Kim Sa-riang。1914(大正3)年3月3日、日本の統治下の朝鮮、平壌(ピョンヤン)の裕福な家庭に生まれる。本名は金時昌。1931(昭和6)年、平壌高等普通学校五年生に在学中、朝鮮各地で起こっていた反日学生闘争に呼応する同盟休校事件に関与し、退学となる。その後、日本に渡り、旧制佐賀高等学校に入学したころから、執筆活動を開始。東京帝国大学卒業と相前後して執筆した「光の中に」が 1940(昭和15)年前期の芥川賞候補作となる。1941(昭和16)年12月、日米開戦とともに拘束、翌年、釈放後、朝鮮に帰る。1945(昭和20)年春、日本軍に徴用された朝鮮出身兵の慰問団の一員として中国に赴いた際、脱出し、朝鮮義勇軍に参加。1950(昭和25)年、朝鮮戦争が勃発し、アメリカ軍の上陸に遭って朝鮮人民軍が撤退する中、持病の心臓病が原因で行方不明となり、死亡したと推定されている。代表作は「光の中に」のほか、「天馬」「草深し」など。(大野 裕)Wikipedia「金史良

「青空文庫」より

金 史良(キム・サリャン、1914年3月3日 - 1950年10月?)は、朝鮮の小説家。 本名は金時昌(キム・シチャン)。 日本語・朝鮮語両方で創作した。 「在日朝鮮人文学」の先駆的存在である。 [若年期] 金史良、本名金時昌は1914年(大正3年)3月3日、日本統治時代の朝鮮平壌府陸路里102番地で生まれた。 母と姉は熱心なキリスト教徒であり、一族は平壌屈指の富裕層で、兄の金時明はのちに朝鮮人としては最初の朝鮮総督府専売局長に就任した。 平壌高等普通学校5年の時の1932年(昭和7年)冬に、留学のため初めて日本に渡る。 当時の一般的な朝鮮人学生とは異なり、金史良は日本への留学は本意ではなく...

「Wikipedia」より

この人物の情報

人物名ヨミ キム サリャン
人物別名 金史良

金, 時昌
生年 1914年
没年 1950年
職業・経歴等 小説家

本の一覧

タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
日韓併合期ベストエッセイ集 鄭大均 編 筑摩書房
2015.7
金史良・張赫宙・高史明 金史良, 張赫宙, 高史明 著 勉誠
2006.6
光の中に : 金史良作品集 金史良 著 講談社
1999.4
朝鮮短篇小説選 大村益夫 ほか編訳 岩波書店
1984.4
朝鮮短篇小説選 大村益夫 ほか編訳 岩波書店
1984.6
金史良全集 金史良著 ; 金史良全集編集委員会編 河出書房新社
1974
金史良全集 金史良著 ; 金史良全集編集委員会編 河出書房新社
1973
金史良全集 金史良著 ; 金史良全集編集委員会編 河出書房新社
1973
金史良全集 金史良著 ; 金史良全集編集委員会編 河出書房新社
1973
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