1888年12月26日香川県高松市生まれ。京都大学在学中、第三次、第四次「新思潮」に参加。『屋上の狂人』『父帰る』を発表するが、世間に認められるまでには至らなかった。時事新報社時代に発表した『無名作家の日記』『恩讐の彼方に』が評判になり、文壇的地位を確立する。「文芸春秋」の創刊、「文芸家協会」の設立、芥川賞、直木賞の設定などにも貢献する。Wikipedia「菊池寛」
「青空文庫」より
菊池 寛(きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日)は、小説家、劇作家、ジャーナリスト。 文藝春秋社を創設した実業家でもある。 本名は菊池 寛(きくち ひろし)。 [来歴・人物] 香川県香川郡高松の生まれ。 菊池家は江戸時代、高松藩の儒学者の家柄だった。 高松中学校を首席で卒業した後、家庭の経済的事情により、学費免除の東京高等師範学校に進んだものの、授業をサボっていたのが原因で除籍処分を受けた。 しかし地元の素封家から頭脳を見込まれて経済支援を受け、明治大学法学部に入学。 法律を学んで一時は法律家を目指したこともあったが、一高入学を志して中退。...
「Wikipedia」より