真徳秀(しんとくしゅう、1178年 - 1235年)は、南宋中期の政治家、儒学者。 字は景元または景希で、号は西山先生。 諡は文忠。 建州浦城(福建省)出身。 [略伝] 幼少時から天才で知られており、4歳のときにはどんな書物を暗誦することができたという。 1199年に進士となる。 博学宏詞科に及第し、南宋の第3代皇帝・光宗に仕えて大学博士となったが、その後を継いだ寧宗には疎まれて地方官に左遷されてしまった。 しかしそこで、泉州の交易や海防対策で功績を挙げている。 寧宗の死後に即位した理宗は儒学肌の教養人であったため、礼部侍郎と中書舎人に任じられて中央政界に復帰し、翰林学士・参政知事を歴任。 ...
「Wikipedia」より