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欧陽 詢(557-641)
欧陽 詢(おうよう じゅん、557年 - 641年)は、唐の儒家・書家。字は信本。本貫は長沙郡臨湘県。父は南朝陳の広州刺史の欧陽紇。子は欧陽愷・欧陽粛・欧陽倫・欧陽通。陳寅恪の研究によると、南蛮の血統。 業績 初唐の三大家の一人で、唐の四大家の一人でもある。欧陽詢の楷書は端正な字形であり、特に『九成宮醴泉銘』は有名で、日本では昭和時代からこの書風が小中学校の教科書の手本に取り入れられるなど後世に多大な影響を残した。 隋の大業元年(605年)、太常博士に任じられた。唐の貞観初年、太子率更令に任じられた。 代表作 代表的な書は次のとおりである。 皇甫誕碑(こうほたんひ) - 貞観中(6...
この人物の情報
schema:alternateName | オウヨウ ジュン |
schema:name | 欧陽 詢; 欧陽詢; 歐陽, 詢; 信本 |
schema:abstract | 欧陽 詢(おうよう じゅん、557年 - 641年)は、唐の儒家・書家。字は信本。本貫は長沙郡臨湘県。父は南朝陳の広州刺史の欧陽紇。子は欧陽愷・欧陽粛・欧陽倫・欧陽通。陳寅恪の研究によると、南蛮の血統。 業績 初唐の三大家の一人で、唐の四大家の一人でもある。欧陽詢の楷書は端正な字形であり、特に『九成宮醴泉銘』は有名で、日本では昭和時代からこの書風が小中学校の教科書の手本に取り入れられるなど後世に多大な影響を残した。 隋の大業元年(605年)、太常博士に任じられた。唐の貞観初年、太子率更令に任じられた。 代表作 代表的な書は次のとおりである。 皇甫誕碑(こうほたんひ) - 貞観中(6... |
schema:birthDate | 557 |
schema:deathDate | 641 |
schema:description | 能書家 |