梁 啓超(りょう けいちょう)は清末民初の政治家、ジャーナリスト、歴史学者。 字は卓如、号は任公、飲冰室主人など。 さらに中国之新民他きわめて多数のペンネームをもつ。 建築家・建築史家の梁思成は長男、考古学者の梁思永は次男にあたる。 [生涯] 15歳の時に広東屈指の書院であった学海堂で学び、戴震・段玉裁・王念孫などの訓詁・名物・制度についての考証学を修めた。 極めて成績優秀であり、17歳で広東郷試に合格し挙人となった。 なおその成績から将来を嘱望された為、この時の試験官の李端棻の従妹と望まれて婚約もしている。 18歳の時に康有為が広東省南海に追放されてくると、友人の陳千秋とともに面会を求めて...
「Wikipedia」より