顔之推(がん しすい、531年 - 591年以降)は、中国の南北朝時代末期の学者。 字は介。 本貫は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市費県の東)。 [経歴] 梁の鎮西府諮議参軍の顔協(顔勰ともいう)の子として生まれた。 顔氏は、顔之推の九世の祖にあたる顔含のときに江南に渡って、代々『周礼』や『春秋左氏伝』に通じていた。 顔之推も、老荘をきらって儒学を好み、学識にすぐれ、文藻に富んだ。 梁の湘東王蕭繹の下で左常侍・鎮西墨曹参軍に任じられた。 官にあっては酒を嗜み、放縦な生活を営んだ。 郢州で掌管記をつとめていたが、侯景の乱で郢州が陥落すると、捕らえられて建康に送られた。 乱が平定されると、江陵に...
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