藤原 成範(ふじわら の しげのり)は、平安時代末期の公卿。 初名は成憲。 藤原南家、少納言・藤原通憲(信西)の三男。 官位は正二位・中納言。 桜町中納言と号す。 [経歴] 鳥羽法皇の院判官代・右近衛将監を経て、久寿元年(1154年)従五位下に叙爵される。 久寿3年(1156年)、左衛門佐。 同年7月に発生した保元の乱を経て、父・信西が権勢を握るとともに、保元2年(1157年)に正五位下・左近衛少将、同3年(1158年)に従四位上・左近衛中将、同4年(1159年)に正四位下と急速に昇進を果たす。 またこの間、遠江守・播磨守と地方官も兼ねた。 さらに、平清盛の娘と婚約し、その前途は磐石であるか...
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