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笠間 杲雄(1885-1945)
笠間 杲雄(かさま あきお 1885年11月 - 1945年4月1日)は、日本の外交官。戦前日本においては数少ないイスラーム圏に関する専門家の一人であり、また阿波丸事件の犠牲者としても知られている。 経歴 東京府東京市神田区神田末広町(現在の東京都千代田区外神田三丁目)の出身。富山県出身の師範学校教師で神職の野中武雄(1848-1902)の三男として生まれ、母方の笠間家を継ぎ、石川県金沢で育つ。 一高を経て1909年に東京帝国大学法科大学政治科を卒業、高等文官試験に合格し、鉄道院参事として米国に駐在。1918年に外務省参事官兼外務事務次官としてパリ講和会議に参加し、平和条約実施委員とし...
この人物の情報
schema:alternateName | カサマ アキオ |
schema:name | 笠間 杲雄; 笠間杲雄 |
schema:abstract | 笠間 杲雄(かさま あきお 1885年11月 - 1945年4月1日)は、日本の外交官。戦前日本においては数少ないイスラーム圏に関する専門家の一人であり、また阿波丸事件の犠牲者としても知られている。 経歴 東京府東京市神田区神田末広町(現在の東京都千代田区外神田三丁目)の出身。富山県出身の師範学校教師で神職の野中武雄(1848-1902)の三男として生まれ、母方の笠間家を継ぎ、石川県金沢で育つ。 一高を経て1909年に東京帝国大学法科大学政治科を卒業、高等文官試験に合格し、鉄道院参事として米国に駐在。1918年に外務省参事官兼外務事務次官としてパリ講和会議に参加し、平和条約実施委員とし... |
schema:birthDate | 1885 |
schema:deathDate | 1945 |
schema:description | 外交官 |