葛西 善蔵   (1887-1928)

1887(明治20)年1月16日、青森県弘前市松森町に生まれる。幼少の時、一家での北海道、青森・五所川原や南津軽郡碇ヶ関村などに転居した。碇ヶ関尋常小学校補修科を卒業後、単身上京するも帰郷し、北海道で鉄道車掌、営林署勤務などをした。1905(明治38)年に再び上京、哲学館(現東洋大学)で聴講生となるが、1908(明治41)年、徳田秋声に師事した。郷里で結婚したが単身上京して、作家を目指した。大正元年、広津和郎や谷崎精二らと同人雑誌「奇蹟」を創刊し、葛西歌棄の名で処女作『哀しき父』を発表した。生活苦などのためその後も別居・同居(東京・郷里の往復)を繰り返した。葛西は「自己小説」と呼ぶ私小説の文学像を追求し、『雪をんな』・『贋物』(いずれも大正6)などを発表した。大正7年の『子をつれて』が評判を呼び、大正11年頃までが全盛期となった。とくに『椎の若葉』や『湖畔手記』(いずれも大正13)などは詩情があり、哀愁ある心境に達した作品となっている。借金、酒浸り、病苦のあげく、家庭を捨て芸術至上へと向かう破滅型の自己小説は、作者への共感や一種の信仰を生んだ面がある。題材は貧困と鬱憤の中で狭いものの、感傷やユーモアも捨てがたい魅力となっている。結核のため体調は悪化し、1928(昭和3)年7月23日、世田谷三宿で41歳で死去した。嘉村磯多らとも親交があった。葛西善蔵全集全5巻(改造社)ほかがある。Wikipedia「葛西善蔵

「青空文庫」より

葛西 善蔵(かさい ぜんぞう、1887年(明治20年)1月16日 - 1928年(昭和3年)7月23日)は、日本の小説家である。 青森県中津軽郡弘前松森町(現・弘前市)で当時米の仲買業をしていた父・卯一郎、母・ひさの長男として生まれた。 姉二人(長女・いそ、次女・ちよ)と祖母・かよがいた。 [来歴] 1889年(明治22年)、一家は北海道に移住、弟・勇蔵が生まれる。 1891年(明治24年)、一家は青森県に移住する。 1893年(明治26年)、青森県五所川原小学校に入学するが、一家の転居にともない碇ヶ関小学校に転校する。 1902年(明治35年)、母・ひさが死去する。 上京し新聞売りのかたわ...

「Wikipedia」より

この人物の情報

人物名ヨミ カサイ ゼンゾウ
人物別名 葛西善蔵
生年 1887年
没年 1928年
職業・経歴等 小説家

本の一覧

タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
小川洋子の陶酔短篇箱 小川洋子 編著 河出書房新社
2014.1
贋物・父の葬式 葛西善蔵 著 講談社
2012.9
黒島伝治, 葛西善蔵, 杉浦明平 著 ポプラ社
2011.7
春 恩を返す話 葛西善蔵 著菊池寛 著 くもん
2005.10
函館-青森 : 海峡浪漫 北海道文学館編 北海道文学館
2003.11
作家の自伝 佐伯彰一, 松本健一 監修 日本図書センター
1998.4
新潮文庫大正の文豪 : CD-ROM版 : 新潮社版 新潮社製作 NECインターチャネル
新潮社
1997.7
哀しき父・椎の若葉 葛西善蔵 著 講談社
1994.12
葛西善蔵随想集 阿部昭 編 福武書店
1986.9
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