松森 胤保(まつもり たねやす、文政8年6月21日(1825年8月5日) - 明治25年(1892年4月3日)は、幕末から明治の博物学者。 [経歴] 庄内藩士・長坂市右衛門の長男として鶴岡百人町(現・鶴岡市)で出生。 幼名は欣之助、錬之助、源之助、通称嘉世右衛門。 字は基伯、南郊を号す。 幼少時より自然観察に優れ、海岸で綺麗な石を採集したり小鳥を飼育したほか、鉱物や昆虫、化石、石器、土器等に関心を寄せ、鳥の絵を数多く描いたのは12歳頃。 13歳で藩校致道館に入り、儒学の素養に励むとともに書道にも才能を発揮する。 14歳頃描いた鳥の図が「大泉諸鳥写真画譜」に残る。 16歳で藩士・旅河平次兵衛か...
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