陳継儒(ちんけいじゅ、嘉靖37年(1558年) - 崇禎12年(1639年))は、中国明代末期の書家・画家である。 董其昌の親友として知られる。 [生涯] 字を仲醇、号を眉公・糜公と称した。 華亭県(上海市松江区)の人。 書は蘇軾・米芾などに師法した。 またその文才は王錫爵・王世貞らに推賞されるほどであった。 29歳の時に崑山に草庵を建て隠遁し晩年は東佘山に隠れた。 度々宮廷から招聘されたが生涯仕官することなく、文筆をもって生計を立てた。 書画に造詣が深かったが、自らは余技として墨竹・山水を得意とした。 董其昌とは終生の友情を分かち合った。 『皇明書画史』・『妮古録』・『眉公秘笈』・『書画金...
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