市川 清流(いちかわ・せいりゆう、文政7年(1824年) - 没年未詳)は江戸時代から明治時代初期の官吏・漢学者・国学者。 日本における近代図書館創設の功労者の一人。 「博物館」という訳語の創作者。 名は皡、渡。 [経歴] 出生地や学問の師について拠るべき史料がない。 三重県の志摩市議会の広報紙『しまし議会だより 第25号』によれば、市川は現在の三重県志摩市磯部町山原(当時の伊勢国度会郡山原村)の出身であるとされ、同地の正伝寺には「市川清流翁碑」が建立されている。 国学を主に学び、書道に優れ、漢学に深い知識を持っていた。 幕末の外交官である岩瀬忠震の家臣となり、安政2年(1855年)ロシア使...
「Wikipedia」より